第6回「公認心理師試験」が終了しましたね!
第6回「公認心理師試験」が昨日行われましたね。受験された皆さん、大変お疲れさまでした。いわゆる《Gルート》受験者のいない会場の様子など、おそらくは昨年までとずいぶん雰囲気の異なるものだったのではないでしょうか。受験者は減っても、合格率はきっとすごいことになるんだろうなぁ、なんて思いながらTwitterのトレンドを何度か見てしまう私でした。
職業人としての歩み……
今春から公立学校のスクールカウンセラーとして勤務している私ですが、カウンセラーについての私の職業観は、教員としてのそれと変わることはありません。カウンセリングのコンピテンシーモデルは、海外のスタイルを原型とし、まさにカウンセラーとしての成長が人生の歩みそのもののように提示されていますが、これは何もカウンセラーに限ったものではありません。私の教員としての三十数年間の歩みも、今思えば、文字通り「研究と修養」による成長そのものだったと思うのです。いや、それなくしては一歩も進めなかった、それが実感です。最近は少し傾向も異なるようですが、かつてはいわゆる「難関大学」出身者の採用試験合格率は高かったと思います。旧帝大の出身者も多く、同期採用の教員たちとの研修では気後れするばかりでした。しかし、定年を過ぎた今、あんまり気にしなくてよかったな、というのが正直なところです。授業はもちろん日常の生徒対応でも、この人本当に「T大」出たのかな?という人は普通にいらっしゃいました。教師もカウンセラーも、その現場において何が求められているのか、どう動くことが現場の最大の利益なのか、それを見極め、行動する、それこそが基本ではなかったか、と思うのです。
誰かの力になる……
スクールカウンセラーなんか、カウンセラーのうちに入らないよ、なんて言われれば返す言葉もありませんが、カウンセラーとして学校という「現場」で、生徒や保護者、そして教職員の利益のために働くうえで、資格はほぼほぼ関係ないように思います。こう考えるのは、資格なんていらないよ、ということではなく(公立の学校なら一定の資質を担保する指標として資格が求められるのには妥当性がある)、カウンセラーにはあくまでも対人支援職としての実力こそが求められる、ということです。そしてそれはスクールカウンセラーに限らず、心理臨床の現場でもそう変わりはないと思うのです。業務独占なのか、名称独占なのか、ということもこれと無関係ではないと思います。「臨床心理士」や「公認心理師」を採用の条件にしていないカウンセリングルームもあります。これはすごいことだなぁ、と思います。「実力」がすべて、ということですね。どれほどの規模で経営されているのか、にわかにはわかりませんでしたが、最近知りあった某カウンセリングルーム経営者は、「〇〇心理カウンセラー」という資格のみでお仕事をされているようでした。資格に関係なく、その方を頼っている人が確実にいて、そこから何らかのエネルギーを得ているのです。失礼ながら、私などにはその価値がわかりませんが、それが否定しようのない現実なのですね。「ココナラ」で傾聴力を高額で販売していらっしゃる方にも、心理系の資格をうたっていない人がいます。ほんとうにかっこいいですね。
カウンセラーの一人として……
教員は定年まで踏ん張り何とかやり遂げました。ちょっと調子に乗って言うと、コンピテンシーモデルを駆け抜けました。でも、「カウンセラー」としての歩みは始まったばかり、対人支援の現場で、本当の意味で誰かの力になれる、そんな「実力」を身に着けていきたいと心から思います。
『いつも心に太陽を!』

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