ある教師垢のTwitterから
私は、3月末で定年退職となり、いま少しだけ違う立場から学校をながめては、あれこれ思いをいたしているのですが、本当に厳しい環境で多くの『先生』が奮闘している様子は一線を退いた私にとって、手の届かない現実として輝いて見えています。先日、主任を兼務しながら複数の担任教諭が学級崩壊させてしまった、問題満載のクラスの担任を任され、日々子供たちの指導だけでなく、保護者の対応、同学年を組む若手教諭の指導、そして大きな学校行事の準備に追われ、悲壮感を滲ませながら激闘している先生のTwitterを見ました。ずいぶん疲弊されているようで、管理職は何をしているんだ、などと軽い憤りを感じながら見たのですが、それと同時に、自分の遠い記憶も蘇ってくるのを感じました。それは、苦しかったな、としか言いようもない日々でした。でも、間違いなく素晴らしい日々でもありました。
『充実感』としか言いようもないもの……
30代の半ばでした。学年主任を任され、むろん担任も持ちながら、学年の事務や若手教諭の育成も担当し、部活動の指導、そしてブロック大会の研究発表をひかえていたことがありました。当時は学年7クラス規模の学校は普通でした。学年を回すことはもちろん大変な労力でしたが、若かった私には、年上である担任の先生の対応だけでも消耗しました。毎日毎日が得体のしれない何かに追い立てられるように過ぎていきました。研究発表資料を県教委の指導主事からこっぴどく指導され、とぼとぼ学校へ戻ると、生徒の問題行動でそのまま家庭訪問、なんてことが日常でした。正直「自分には無理だ」という思いが常にありました。夜布団に入ってから、滝のように汗が出てきて気が変になりそうな夜もありました。本当に苦しい日々でした。生憎特に優れた能力を持ち合わせていない私が、そんな日々をどうして切り抜けられたのか、それは運がよかった、としか言いようがありません。今言えることは、幸運にも私はその日々で素晴らしい経験を積み、こんな言い方は悔しいですが、「本当にオレは生きていたな」としか言いようもない充実感を感じていたということです。かっこいい言い方はしたくありません。みっともなかったけど、素晴らしい日々でした。
成長こそが生きている証し……
教員生活を振り返って、授業力やら生徒指導力やら、あの時自分は本当に力をつけたな、と思える時があります。それは常に「自分にはムリかな」と感じる負荷がかけられた時のように思うのです。慣れないことに苦しみながら、必死に活路を探していく。決してスマートではなかったのですが、そんな死に物狂いの日々でしか私は成長できなかったように思います。そして、成長こそが「生きている」ということなのではなかったか、と今は思っています。悔しいです、こんな言い方は悔しいですが、年老いて一線を退いた今、そうした日々が輝いて仕方ないのです。
『いつも心に太陽を!』
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